要領よく生きる

勉強も仕事もそこそこに自尊心を保ちつつうまいこと楽に生きたい

港区の4つの地形と5つの行政区分

港区の4つの地形

港区は武蔵野台地の東端に位置します。
そのため、主な地形として次の4タイプが存在ます。

  • 台地
  • 窪地
  • 沖積地(低地)
  • 埋め立て地

例えば麻布や赤坂地区は「台地」と「窪地」、または「台地」と「沖積地」の組み合わせが多くて高低差があるため、よく「坂の街」と言われています。

地形と街の成り立ち

街の成り立ちは、地形に大きく依存します。
歴史的に見ると、次のような関係性があります。

  • 台地は屋敷
  • 窪地は商業地
  • 沖積地は農地
  • 埋立地は工業地

現代では産業構造の移り変わりにより、都市部では一次・二次産業がほぼ消滅し、それらの跡地は三次産業また住居へと転用されています。

このような知見に基づいて街を眺めると、おおよその概要をつかむことができます。

港区の5つの行政区分と地形

港区は次の5つに行政区分を分けています。
これらは、地形上の区分とほぼイコールになっています。

  1. 芝地区 - 沖積地
  2. 芝浦・港南地区 - 埋立地
  3. 高輪地区 - 台地(南部)
  4. 赤坂地区 - 台地(北部)
  5. 麻布地区 - 台地(中央部)

各地区について

  1. 芝地区 - 沖積地
    港区の北東エリアとなり、南北に長い(三田から新橋まで)です。
    新橋、汐留(東新橋)、神谷町、浜松町、芝、三田などが該当します。
    地形的には武蔵野台地の崖下に広がる堆積地が主であり、一部の埋立地(竹芝等)も含みます。
    地名には、汐、谷、浜などの低地を示すものが多いです。
    商業地域や住居地域が混在したエリアとなっています。

  2. 芝浦・港南地区 - 埋立地
    港区の南東エリアとなり、こちらも南北に長い(浜崎橋から品川まで)です。お台場(首都高湾岸線より北の部分)も含みます。
    山手線の外側エリアとなり、ほぼ全てが埋立地となります。
    明治以降、東京ガス等を中心とした工業地域としてスタートし、その後の産業構造の変革により、2000年以降はタワーマンションを中心とした住居地域へ再開発が進んでいます。

  3. 高輪地区 - 台地
    港区の南西に位置します。
    台地の周りを古川、目黒川、東京湾に囲われたエリアとなります。
    赤坂・麻布台地とは古川によって分断されています。
    住居地域がメインとなっています。

  4. 赤坂地区 - 台地
    港区の北部に位置します。
    江戸城に隣接した窪地(溜池、赤坂)は、花街含め商業地として栄えました。

  5. 麻布地区 - 台地
    港区の中央部となります。
    河川の切れ込みによる窪地がいくつか存在します。(麻布十番、西麻布交差点、区界で渋谷区になりますが広尾等)
    ご存知のようにこれらは商業地区となっています。

今後は各地区についてもう少し詳細に見ていきたいと思います。

幼児教室の理論体系

幼児教育というと、理論体系が確立していない領域であるため、カルトと紙一重の非科学でファンシーな理論がまかり通っていると思われる方もいらっしゃるかもしれません。

大手に関して言えば、決してファンシーな理論ではなく、各種関係理論を体系化しようとした努力の集合であることがわかります。

しかしながら、中には、スピリチュアルやカルトのような中小の教育機関もあるかもしれませんので、気をつけましょう。

幼児教室も論理の組み立てをしている

先に述べた通り、幼児教育は一つの学問体系として大成されているわけではありません。
人文社会学(教育学、社会学等)、自然科学(脳科学等)、それらにまたがる心理学等の各種学問をベースに、事象ごとに理論を引用するスタイルとなっています。
そのため、「目指すべき人物像」や「あるべき姿」によって、理論の取捨選択・組み立ては異なります。
各塾の違いは、目指す方向性や、それに合わせた引用理論に違いが表れてきます。

時折、論理の飛躍や、学術的根拠が薄いと思われるものが見られますが、ベースは論理的な組み立てとなっているので、目くじらを立てるレベルのことではないと思います。

幼児教育の理論体系を、自分自身で網羅および大成されている方は少ないと思います。
そのため、このような教育機関が組み立てた理論を参考に、自身の持つ知見と称号して実践されていけば良いと思います。 x

港区麻布十番界隈の幼児教室について

港区の麻布地区は育児世帯の平均所得がおよそ1,200〜1,500万円と高めであり、教育への投資が盛んな地域となっています。
それゆえ、麻布地区の商業エリアとなる麻布十番界隈には、民間の幼児教育機関が多数存在します。

以下、主な幼児教室の一覧です。

麻布十番の幼児教室

各社ともに0歳児からの幼児教育を提供しています。
乳児期は、子供本人より、親への教育要素(子供への接し方、声掛け等)が中心となっています。
全国展開を行う大手だけでも、次のような教室が設けられています。

これら以外にも、小規模の独立系事業者が多数存在します。

麻布十番の幼稚園受験塾

後述の小学校受験ほどニーズが多くないため、小学校受験塾が兼務するケースが多いです。

麻布十番小学校受験

界隈に幼稚舎、東洋英和、女学館、青学があり、小学校から私立へ入れる選択肢は珍しくありません。
幼稚舎は特別なので、幼稚舎対策の私塾が多数存在します。

全般:新芽会
幼稚舎:ジャックを筆頭に色々

次回以降はインターやスポーツ、文化・芸術系について記したいと思います。

日本人に最適化された日本社会

日本で育った日本人にとって、日本社会は生きやすい社会と言えます。

日本はハイコンテクスト文化

日本は、グローバルでハイコンテクスト文化に分類されています。

ハイコンテクストとは、国民の多くが一定の価値観を共有しているため、すべてを言語化することなく、相手とコミュニケーションがとれる状態を言います。 「以心伝心」、「察する」、「空気を読む」という言葉はハイコンテクスト文化の表れです。

一方のローコンテクストは、文化や価値観等の暗黙の了解に依存せず、言語中心でコミュニケーションが図られる状態です。論理性が重視されます。

ハイコンテクスト文化の成り立ち

ハイコンテクスト/ローコンテクスト文化の起因は、国家の成り立ちに関係するとされています。

日本は

というような環境により、大陸諸国に比べ、異文化・異民族との接触が少なく、単一的な文化・価値観が形成されてきました。 国民の多くが暗黙的に共有する価値観があるため、多くを言わずとも、コミュニケーションが成り立つ状態にあるとされています。

私はローコンテクスト文化のドイツに住んでいましたが、国民が共有する価値観がないわけではありません。 ただ、それらに依存した以心伝心的なコミュニケーションをとるのではなく、一から理路騒然と話す手法が主流です。

古いドラマですが、渡る世間は鬼ばかりというドラマがありました。 じっくり見たことはないのですが、一人一人のセリフ(主張)がとても長いという特徴がありました。 一人一人が、自分の考えや思いを理由をつけて1から10まで長丁場で話すわけです。 日本の社会では稀有なコミュニケーションスタイルですが、私が以前住んでいたドイツではよく見られた光景です。

日本人にとって日本社会は便利

話は日本に戻ります。 日本にいると当たり前のことなので気づきにくいことですが、日本育ちの日本人にとって、日本社会は生きやすいと言えます。 国民間で価値観の共有要素が多いので、事あるごとに一から正当性を主張しなくとも、おおよそ相手の考えが察知でき/してもらえ、なんとかうまくやっていける/もらえる社会です。

一方、多くの国民が価値観を共有しているため=「暗黙の同調圧力」が働きやすいという面も抱えています。 「暗黙の同調圧力」についてはまた今度触れたいと思います。

満足の閾値があがっている

楽しい人生とは、自尊心(自己肯定感)をなんらかの要素で満たしながら生きるということである。

自尊心は社会の影響を受ける

自尊心を満たす要素は、個人でクローズしたものではなく、個人が所属する社会の影響を大きく受ける。

仮に小さな社会しか知らない場合、自尊心を満足させる要素は比較的安易に手に入るだろう。
一方、数多の世界・価値を知ってしまうと、自分自身の満足度を得るためにはそれなりの努力と投資が必要になる。

小さな子供は不満があってもお菓子を貰えば笑顔になるが、
zozoの創設者は常人では知り得ない世界を知り、それが故に己を満足させるための投資も尋常ではない。

近年は他者の影響を受けやすくなっている

現代においては、自分が属する社会以外の影響を受けやすくなっている。

情報化社会により、多様な世界、異なる階級の世界が広く一般にも知られるようになった。

従来はテレビや雑誌等のマスメディアでの限定的な情報提供であったが、近年はWeb(ブログ、SNSYoutube等)を通じてダイレクトに情報提供がなされるようになっている。
自分以外の人間がどんな世界を経験し、どんな楽しみを持っているのか、そこらじゅうで触れることができる。

自分と同じレイヤの情報ばかりでなく、異なるレイヤの情報も自然と入ってくる。
自分は自分、他人は他人、と割り切れる人はそうそういない。

自ずと羨望の対象が増え、個人の満足度の閾値が底上げされた状態と言えよう。
時には、羨望から転じて妬みなどの感情も生まれやすい環境となりつつあるのではなかろうか。

「持つ者」は自分が持つ者であることを自認し、「持たざる者」は自分が「持たざる者」であることを自認しやすい世界になってきているとも言えよう。
うまいことやらないと、惨めな気持ちを抱えて生きていくことにもなりかねない。そんな時代となりつつあるのではないだろうか。

日本社会の価値観の中で生きていく

本ブログでは、今日の日本社会の価値観やロールモデルを否定することなく、それらの中でうまいこと自尊心を満たしていく方法について記していこうと思う。

日本のロールモデル

日本では、社会通念上、模範とされる人生(ロールモデル)がある。

例えば、

  • よい学校に行き
  • よい仕事につき
  • よい所に住み
  • よい家庭を持つ

などである。
これらは、日本が資本主義に基づき、長らく平和で安定した時代を経てきた結果である。
状況が異なればロールモデルも異なる。
例えばIS支配下において、上記に意味はない。

日本における一般的価値観

話を日本に戻し、上記ロールモデル前提の社会では、

  • 学歴重視
  • 貧乏より金持ち
  • ブルーカラーよりホワイトカラー
  • 田舎より都会
  • コミュ障よりコミュ上手
  • 非モテよりモテ

などの価値観が形成されている。

本ブログのテーマは自分探しではなく経世

本ブログでは、「形而上の産物である社会通念を疑い、物事の本質を見極め、本当の自分らしさを追求する」といったことはしない。

真逆の、「既成の社会通念の中でうまいこと自尊心を満たしていく」方法について記すのだ。

もちろん、若いうちに既成概念を疑い、自分なりの生き方や価値観を見出すことはとても重要だと思う。

私の場合、豊富とは言えないが、バックパッカー旅行や駐在での外国生活を通じて多様な価値に触れ、日本の社会通念をどうしようもなくくだらなく、内向的で矮小で卑近なものが多いと捉えるようになった。
特に嫌気がさすのは、国民が少数民族で構成されているが故、単一的な価値観に対する暗黙の同調圧力が働きやすく、息苦しささえある。
とはいえ、日本を飛び出し、自分のやりたいことで生きていくといほどのことでもない。という結論(妥協)に至った。

世の中の多くの人も、社会に対する不満を抱きつつも、国外脱出や革命などの行為に走らず、なんとかうまいこと、自分なりに楽しみを見つけながら生きていると想像する。

私なりにも、うまいこと生きていく方法を実践してきたので、今後記していきたい。

要領の良い生き方について

日本では一般的に努力して実直に生きることが道徳的に望ましいとされている。
しかし私は怠惰な人間なので、できれば楽して生きたいと常々思っている。

とはいえ、その代償として、社会階級が低くなるのは自尊心的に嫌だ。

そこそこの努力で、高い生活水準を保ちつつ、自尊心も満たされる人生を送りたい。

社会人になって10数年の時を経て、要領の良い生き方について自分なりに整理されつつあるので、記して行きたい。